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Transnac Records
ARTIST LINE-UP
木村えり花
1990年7月27日生まれ。アメリカ・カリフォルニア州リバーサイド出身。ユダヤ系アメリカ人の父と、日本人の母のもとに生まれた17歳のハーフ。幼少期小学校の数年間を東京で過していた時、多くのアイドルや女優を輩出する大手事務所からスカウトされ、歌・ダンス・演技のトレーニングを始める。家族の仕事の関係でアメリカへ帰国した後、ロサンジェルスを拠点としたモデル・エージェンシーで、モデルとして、またアクトレスとしての訓練を受ける。2006年、再び家族とともに来日し、ロサンジェルスのエージェンシーとネットワークしていた現在の事務所ZEAL PRODUCTIONに所属。講談社Style誌でモデルとしてデビュー。
以降雑誌を中心に活動してきたが、2007年1月、TBS「世界バリバリバリュー」で注目の新人モデルとして取り上げられ、そのエキゾティックな美貌と年齢を忘れさせる不思議な雰囲気で、一気に熱狂的なファンを増やす。しかし、「モンティ・パイソン」が好きで、ブラック・ユーモアを好むと同時に、日本人よりも日本人的な奥ゆかしさと繊細さをも合わせ持つ、あまりに個性的な17歳の素顔は、2006年から始めたボーカル・トレーニングのかたわら英語で書き始めた詩の多感で細密な感受性に現れている。「声は魂の表現形、声は魂のアウトプット」と言うが、一度聴いたら忘れられない木村えり花の声は、まさに彼女の素顔そのもの、裸の魂である。その声の魅力は、彼女自身の生き方や感じ方、フィロソフィーの魅力だ。そこに、モデルという狭い枠からはみ出した、ひとりのアーティストの姿を、誰もが見ることだろう。
そんな超スケールの木村えり花をプロデュースできるのは、この希有の才能をもつアーティストしかいない。屋敷豪太と、かの香織だ。そしてヴィジュアル・ワークは、ビョークを始め音楽家や世界の映像作家から注目される柘植伊佐夫と、スタイリスト森美幸がプロデュースした。
櫻井たかし
1970年岐阜県大垣市生まれ。
幼少の頃より歌うことに異常な興味と情熱をしめしたそんな櫻井に、音楽の嗜みがあり、とりわけボブ・ディランやトム・ウェイツの熱烈なファンだった父親が、日々の「英才教育」を授けた。父の愛と音楽への情熱が生んだ果実なのか、ものごころついた時には、既にシンガーになることを夢見ていた。「歌」を中心に世界がまわっていた櫻井にとって、音楽こそが友人であり、趣味と価値観の違いから学校の仲間たちからは孤立しがちだった。そんな孤独な中学時代、ギター1本で歌うことを教えたのも父親だった。そして音楽的同士と出逢う機会がふえた高校時代には、リーダーを兼ねたリード・ヴォーカリストとしてバンド結成・解散を繰り返し、表現すること歌うことに没頭した。まさに音楽漬けの毎日だった。音楽のない生活は、もはや櫻井には価値がなかった。歌のない人生は考えられなかった。恋するたびにラブソングをつくっては彼女たちに歌って聴かせもしたが、本当の恋人は「歌」の方だったかも知れない。
大学卒業後、プロのシンガーを目指してデビューのチャンスをうかがうが、果たせず、数えきれないほどの挫折と屈辱を味わう。そして、たったひとつの夢、唯一絶対のあこがれだった「歌うこと」をあきらめ、定職に就くべきかと日々苦悩していた時、父親がただの音楽好きではなく、櫻井とおなじようにシンガーになることを夢見ていたことを告げられ、棄てかけた夢をもう一度追い続けようと、強くこころに誓った。二度とあきらめない、父親の見果てぬ夢を叶える意味で、あきらめてはならないと。
そうして歌いつづけながら、ある日、作詞家売野雅勇と偶然に、しかし運命的に出逢う。櫻井がふと口にした父親の話に、売野は言った。「あなたのような人に歌ってもらいたい歌があります。ずっと温めていた作品ですが、それはあなたの歌です」。後日、『夢を継ぐ者』と題された詞が送られてきた。『夢を継ぐ者』は、まさに櫻井と父の歌だった。櫻井たかしは、『父に捧ぐ』と改題されたこの運命の歌でデビューする。
虎島キンゴロウ
学習院大学文学部卒業後、文学座座員として数々の舞台に出演。1994年、文学座退団後も異形の俳優として舞台で映画で注目を浴びる。また2000年より、唄って踊る謎のミュージカル・パフォーマー「超國淘(チャウ・コクトウ)」名義でサロン・パフォーマンスを展開。虎島キンゴロウ・ショーの礎を築く。同時にインターネット・ドラマサイト”Radiogenic"では俳優・脚本家・演出家として数々の実験的ドラマを発表。監督作品ドラマCD『ラドン』は伝説のドラマとしてカルト的人気を博している。また2001年より始まった舞台公演、Radiogenicリーディング・スペクタクル(脚本:売野雅勇 演出:市川右近)では、現在まで全7回すべての公演に出演。その美貌と悪魔的肉体美で観客を魅了。
そして2003年には、足技の魔術師と謳われた最恐空手家・小笠原和彦率いる創天會空手小笠原門下となり肉体と精神の大改造に取り組む。また同時に小笠原和彦のセコンドとして参加したプロレスのリングでエグジヴィジョン・パフォーマンスを展開。2006年8月15日、天啓のように「虎島キンゴロウ一座」構想を得、不眠のまま舞台に登った『優雅な秘密』千秋楽特別公演『下町日和』(当日は昼夜2公演であった)のカーテンコールで歌手・中村中をエスコートしながら、またもや天啓のように「虎島キンゴロウ・ショー」を発案。同日深夜、恵比寿「X+Y」で行われた打ち上げでスタイリスト森美幸の紹介で、音楽家DJ・高木完と出逢う。この偶然の劇的な邂逅が「虎島キンゴロウ・ショー」構想の画竜点睛となった。虎島キンゴロウこと超國淘、俳優名・古藤芳治。
「虎島キンゴロウ・ショー」公演は伝説のキャバレー「赤坂・ニューラテン・クォーター」を彷彿とさせる芝浦の外人倶楽部「ZENBOO」で予定されている。
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